使う者の創造性を試されるモノたち。
祖母が亡くなり、実家の倉庫の片付けを手伝う中、何年も眠るモノが沢山出てきた。
一つ一つ見ると丁寧に作られたものから量産体制で作られたモノまで色々あるが大体が、今の生活にすぐ取り入れるイメージが湧かないモノ=生活スタイルに合わないモノで溢れていた。
100年も経たないうちになぜそんなに私たちの生活が変わったのか?
子供の時は新品を持っている同級生の方が羨ましく見え、何も買ってくれない両親に反発心さえ感じた。
昔、「モノが無いなら自分で作ればいい。」とまわりの大人たちから何度も聞いた事をふと思い出した。
今思う。
昔のモノは発展途上という背景もあって、使い方を考えさせるモノや、不便で「もっとこうなればいいのに・・・」とものづくりの種で溢れている気がしてくる。
量産体制で作られた毛糸のセーターを、祖母が糸にして別のものを作っているのを見た時、とても驚いた事を今でも忘れられない。私にはセーターは「セーター」にしか見えなかったのです。
デザインに大事な「多角的な視点」を、自然にライフスタイルとする祖母をとても素敵だと思った。
今の当たり前や、要らないモノ、役目を終えたものを、違った見方で違うモノに変える事がもっと出来たら、きっと日々がもっと面白くワクワクすると思う。
日々精進したい。